切り換える力と集中力 – 読み書き計算で学ぶ – 1日15分の苦手克服

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私の短い半生を振り返っても、時代の変化はどんどん加速しています。文明が進歩したことによって、暮らしにゆとりができたかというと、むしろ忙しくなったのかもしれません。
 

マルチタスクを目指してはいけない

そんな現代の子育てでは、あれもこれも同時並行して進めなければいけないような気がしていませんか?

はたして子育てにマルチチタスク*1は不可欠なのでしょうか?

結論だけ言うと、マルチタスクはコンピュータに任せておくべきでしょう。人間は極力シングルタスク=一つのことに集中する方が幸せだ、と私は考えています。
 

子どもの心から集中すること

昨日の記事で「情報の縮約」の話をしました。歩くことも実はとても複雑な判断と決定の膨大な積み重ねですから、その一つひとつを意識していたら、まともには歩けなくなってしまいます。何度も何度も練習して、人は足や手の動きをまったく意識しないでも歩くことはできるようになるのです。

こういう「情報の縮約」によって「全自動化できてしまったこと」をするために、人は心を使う必要がありません。ですからキャベツを刻みながらハンバーグの焼き具合を気にしたりすることくらいは、何の苦労もなくできるようになります。

ところが、全自動とはいかなくても半自動化もできないことであれば、同時のすることは人間の限界を超えてしまいがちです。

例えば辛い気持ちになっている子どもの背中をさすることは、手の動きは歩くよりもはるかに簡単でしょう。でも意識すべきなのは手の動かし方ではありません。目の前の子どもの心のあり様です。心のようすを見てとることは、片手間仕事ではできません。

全身全霊をかけて背中をさすることと、テレビドラマを観ることは両立するはずがないのです。

集中するには目と耳のどちらが大事?

話は変わりますが、学問するためには目が見えないことと耳が聞こえないことはどちらが不利だと思いますか?

私は圧倒的に耳が聞こえないことの方が不利だと考えています。なぜなら、ある一瞬に目に入ってくる情報は、基本的の膨大です。今あなたの目の前にあるものはどれくらいあるでしょうか? ちょっと数えて見てください。

今、私の前にあるものをあげれば、机、鉛筆、消しゴム、コップ、電話、鉛筆削り、パソコン、メゲネケース、電卓、、、、

いくつもの情報がいっぺんに入ってきます。その関係を考え出したらいくら時間があっても足らないでしょう。

それに対して耳から入ってくる情報は、時間の流れにそって規則正しく並んでいます。つまり論理的に考えるための、一本筋の通った物差しとしての時間が厳然と存在しているのです。

情報は多ければ多いほどいいというものではありません。その中の規則性、法則性を意識できて、はじめて人間は思考できるからです。

人間が考えをまとめるためには、時間の流れのような、一つのはっきりした基準が不可欠なのです。
 

マルチタスクは情報が混乱しやすい

いま大事にしたいことと「歩くこと」のようにほぼ完全自動化されていることであれば、心のほとんど全部を「大事にしたいこと」に集中できます。

ところが、大事さ加減が多少は違っても、心を砕いてしなければいけないことを同時にすることは、心がバラバラになっていく可能性が大きいのです。心の中の情報のつながりの糸を、無意識的にあちらこちらで切ってしまうことにつながるからです。

そして考えるエネルギーも分散され弱くなってしまいます。
 

集中することの切り替えを意識する

そう言っても、働きながら子育てするお母さんなど、体がいくつあっても足りない人がほとんどではないでしょうか?

やはり時代はマルチタスクがこなせる人間を求めているのでしょうか?

でも人間はそれほど器用にはできてはいません。一つのことに没頭すると幸せを味わえるようにできている生き物です。

だかこそ音楽や舞踊に感動できるのです。

暮らしが芸術の高みになるためには、一瞬一瞬は一つのことに全身全霊をかけられた方がいいのです。

それでも体は一つしかなくすることはいくつもある。

となれば、この時代を生き抜く鍵は、一瞬でスパンと「集中することを切り換える力」ということなのでしょう。

今日から少し、切り換えを意識してみませんか?
 
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昨日の記事は

> コチラ(情報の縮約などについて)
 



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