学制発布と戦争 – 読み書き計算で学ぶ – 1日15分の苦手克服

日本国では政府が管理する学校が全国的にできたのは、江戸幕府が倒され、天皇をいただいて作り上げた明治政府の仕事でした。その最初の指示がいわゆる学制発布(明治5年:1872年)のことでした。

その直接のきっかけになったのは、合衆国の軍艦4隻が脅しながら交渉した日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく:1858年)にはじまった「開国」でしょう。江戸時代の日本は、少なくとも表向きは鎖国していて、欧米とのやりとりはオランダだけだったのが、そうもいかなくなってきたからです。

お隣の大国=清は、欧米列強(イギリス、フランス、オランダ、合衆国などの強い国)の思惑によって、国内は混乱し、経済的にも不平等がまかり通り、その度合いは進む一方でした。

旧態依然とした江戸時代のやり方では、清国以上に欧米列強に好き勝手されてしまう。そもそも日米修好条約そのものが、かなりひどい不平等条約でしたから。
 

学校は兵隊作りのために

そんなわけで、日本の国をまとめて欧米列強に対抗しなければいけない。そのためにも、北は松前(北海道の南の方)から九州くらいまでは日本語が通じるようにしなければいけない必要に迫られたのです。

江戸幕府の支配は松前藩の周りくらいまででしたし、琉球王国は薩摩藩の支配下にもありましたが、清国にも貢物をしていたりする「準独立国」でした。合衆国政府も江戸幕府とは別に、琉球王国と交渉を進めていました。

今でもいわゆる方言は、単語からして違うところがあります。150年前には、藩が違えばその言葉はお互いにドイツ語とフランス語くらい違っていたことも多かったと思われます。

いざ戦争になったら、言葉も通じない軍隊ではお話になりません。それぞれの方言は無くならないにしても、共通語としての日本語を確立し普及する必要があったのです。昔は当たり前だった学生服が軍服に似ているのは必然のことです。
 

基準があればはみ出す人が出る

学校とはもともと、そういう「ある基準に合わせた人間を作り出す仕組み」だったし、今もその役割は大きいです。
 
問題は、ある基準を定めると、そこからはみ出す人が必ず生まれること。そしてそのはみ出した人をどう考えるのかという課題が生まれることです。
 
 


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